くも膜下出血で3ヶ月意識不明だった

一、くも膜下出血(脳卒中)になる

2014年8月8日の早朝に自宅で、くも膜下出血(脳卒中)を起こして救急車で災害医療センターに運ばれました。脳動脈瘤が破裂してしまったようです。もともと血圧は高い方で喫煙もしてました。

リハビリの病院も含めると 四ヶ月入院してました。その間にドメインを盗られてしまい、このドメインを使うことにしました。自分にすれば、とっておきのドメインをまさか、この自分のブログに使うと思わなかったです。 身も心も空中分解して復帰しました。

DSC_0400 DSC_0402

二、水頭症になる

救急車で運ばれた8月8日から3ヶ月間は、脳内に脳脊髄液がたまる水頭症になって意識不明になりました。その間、3回の脳を開く手術をして、3回目のシャント手術で意識が戻りました。脳みそから腸まで脳髄液を排出するパイプを入れてもらいました。今は退院してます。

意識を回復して、半身不随も副作用もないのが不幸中の幸いです。 くも膜下出血になった場合、ざっくりと3分の1は命を落として、3分の1は半身不随のような後遺症を残してるようですが。自分は残りの3分の1に入れて幸運と考えるべきと自分に言い聞かせてます。宝くじで億単位があたるよりうれしいです。

何かをやるにしても死んでたかもしれないことに比べればと、何でものんびりさせます。 3ヶ月の意識不明の間、あきらめの早い家族は、私の私物の一部を運転免許証なども含めてゴミに出してしまい、現在の私生活でかなり苦労してます。死というものがそれだけ切迫していただろうし、普段世話になってる家族を攻めたりしません。少なくとも、最低、意識不明のままいくだろうという状況だったようです。完治するまであまり楽観的なことは言わないのですね。

退院後の主治医は、ここまで良くなると思わなかったと自分で言ってるしとはいえ、自分にとっては命の恩人の名医です。災害医療センターの脳神経外科の重田先生です。

最近自分でも奇跡なんだと感じてます。

三、リハビリ病院へ転院

11月10日には救急病院を追い出されて、リハビリ病院として白十字病院に転院します。 リハビリ病院では、何の治療もなく薬もなくて、ただリハビリとしてストレッチのようなもの、頭の体操のような簡単な計算ドリルをやってました。

物足りなさというか、病院食も含めてお金もかかるだろうから自主退院の方向を自分で選びました。そして12月11日に退院しました。4月の中旬の春先まで入院してる予定のようでしたが、これが自己決定権というか何年ぶりで自分で決めさせてもらったことです。

↓ 入院中解いてたドリル。答え合わせなどしない。

DSC_0128

 

仕事への復帰は7月4日を予定してます。

四、仕事へ復帰

仕事への復帰 くも膜下出血は過去のこと

7月4日に仕事に復帰しました。後遺症もなく復帰出来たことは幸運だったとしか言えません。人によっては生き返ったという表現をされました。2人のパートさんに指を刺され、「あの人、生きてるじゃん」との声が聞こえてきたりしました。

3ヶ月の意識不明時の記憶はありません。三途の川も渡らなかったです。意識回復時に父親の兄貴が来てて、自分の身にタダ事でないことが起きたと感じてました。

今気をつけてることは、くも膜下出血の再発のおそれです。とりあえずたばこをやめて、食べ物に気をつけてます。

自分のくも膜下出血について

その後
災害医療センターに行ってきた(10月19日)

 

カテゴリー別アーカイブ: クモ膜下出血(武富武馬のブログ)

The following two tabs change content below.
武富 武馬
[2014年8月8日にくも膜下出血で救急車で運ばれ、意識不明3ヶ月間を経て、奇跡的に後遺症なく半身不随なく退院してます。] 東京出身在住。Pon2 Music-音楽家(New Age、ヒーリング)-あ法論理学-たまにねっと。音楽、生活、論理、よもやま話、長生きしよう!!。着信メロディ。自作の音楽・着信音楽は、オリジナル音源です。テキストサイトも含めて15年になりますが、ごらんになる際は、各記事の日付には注意ください。

音楽、生活、論理、よもやま話、長生きしよう。。着信メロディ。自作の音楽・着信音楽は、オリジナル音源です。