インターネットと表現の自由について(現在と今後の判例の基本的な流れとして)

※注意
掲示板の管理人責任についての判例が少しずつ増えてますが、二フティ関係は、もともと同じ土俵にのってる人(同じフォーラムの中など)の言葉の争いごとで、しかも会員どうしであった事情があります。
一.表現の自由
1.表現の自由とは
表現の自由とは、人の内心における精神作用を外部に発表する精神活動の自由をいいます。
思想・信条・意見・知識・事実・感情などの個人の精神活動にかかわる一切のものの伝達に関する活動の自由です。この表現の自由は、民主国家のほとんどの国で、人民の権利として保障されてます。
2.表現の自由が保障される根拠
1).個人の自己を実現させるため
各個人が多くの情報を受領し、自己の知識を高め、自己の人格を形成・発展させるための手段として社会的価値があります。
2).国民が自ら自国を統治するため
現代の立憲民主主義(社会的弱者の意見も考慮して、単純に多数決的でない民主主義)をとる国において、主権者である国民が真理を追究し、政治的意思を自由に決定し表明できることが、民主的な政治過程を維持・発展させていくうえで不可欠な前提にあるからです。
3.表現の自由の限界
表現の自由は一人一人の国民に保障されてるのですが、国家を作っている国民は非常に多くの人間ですから、表現の自由が無制限の保障されるとすると、当然に他の者の表現の自由と衝突することもあるのです。
ですから、他者との権利との調整する作用が、表現の自由それ自体に含まれているのです。
このように、それぞれの自由同士に生じる矛盾や衝突の調整を図るための、すべての自由に必然的に含まれている考え方を「公共の福祉」と言ったりもします。
二.現代的な意義における表現の自由
表現の自由は元来、表現の「受け手」の存在を前提にしてますので、表現の自由の保障には、表現を受け取ることの自由も含まれています。
ところが20世紀後、印刷メディアや放送メディアなどのマス・メディアが発達してくると、情報の「送り手」となるマス・メディアと情報の「受け手」である一般国民とが分離・固定化してしまい、一般国民はもっぱら情報の「受け手」の立場に置かれてしまうことになったのです。
しかも、マス・メディアによって発信された情報は、選択され・操作された情報も含み、一般国民は情報を受身的にしか受領できなかったのです。
三.インターネットと表現の自由
インターネットが急速に発展してくると、国境をへだてた地球規模のコミュニケーションが可能となり、もはや一般国民は、マス・メディアを介さずに情報を自ら選択して入手することができるようになったのです。
また同時に一般国民は、マス・メディアを介さずに情報を発信することができるようになり、情報の「送り手」の側の地位を取り戻し、容易に表現の自由の表現者となれるようになったのです。
四.インターネット上の情報の注意点
いままでマス・メディアから送られる情報は、何かしらの権威的な(時には権力的な)ものによって、情報の信用性・信憑性が担保されていたのです。
それは、たとえば情報発信者の名義人の署名・社名・公共団体の責任者名義などによって、受け手は情報の信用度を判断してました。
ところが、インターネット上に流れる情報には、いまだ権威的な確証を得ることができるものが非常に少なく、
ネット上に流される情報を選択し評価を加えるのは一般国民自身であり、その判断の責任も一般国民にあるでしょう。
五.情報発信者としての責任
1.印刷マス・メディアと放送マス・メディアの二分論
マス・メディアも表現の自由の主体になりえ、さらに民主社会に国民が国政に関与するための重要な判断資料を提供するなど、表現の受け手の立場にならざるを得なくなった国民の知る権利に奉仕するものであります。
しかし、本来のほとんどの国民の口頭による表現者となりうる機会と比較した場合、一般国民が印刷メディアルートの表現主体になりうる機会、さらには放送メディアルートの表現主体になりうる機会は異なってきます。
印刷メディアの場合はビラ配りやビラ貼りなどにより一般国民も参加するチャンスがありますが、放送は無線の電波を使うため、混信しないように受信するためにはあるていどの周波数割が必要になり、その意味で周波数は有限であり希少な機会です。
そこで放送メディアが出現してから、情報の発信者としての責任を考える場合、印刷メディアと異なって、放送メディアの有限性・希少性から電波使用は国の免許制として、放送メディアに「政治的公平性」「対立した意見はできるだけいろいろな見方とること」などを法律で定めています。
このような印刷メディアと放送メディアの責任の見方の違いを二分論と言われたりします。
2.インターネット上の発信者
インターネット上の情報の発信者の責任を考える場合は、上記の五の1.の印刷メディアと放送メディアのどちらに近いでしょうか。
本来、表現の自由は他者の権利を害しない範囲で自由でありますが、放送メディアは電波の周波数の有限性や希少性から強い責任問題が生じてきました。
他方の印刷メディアは、一般国民の口頭の表現とは機会があるかどうかで責任を考えました。
すると、インターネットの場合は、表現する機会を考えると印刷メディアよりも容易で、万人はいつでも表現する機会に恵まれているのです。
これは、印刷と放送の二分論にあてはまらない新しい第三の形態といえますが、上記までに述べてきたように、マス・メディアによって表現の受け手の立場にとらざるをえなかった一般国人が、インターネットによってやっと取り戻した表現の自由といえます。
すると、インターネット上の表現の発信者の責任を考えるにあたっては、新しい第三の類型ととらえるべきでなくて、古典的な表現の自由の法理の「思想の自由市場」「対抗言論(言論に対しては言論で対抗する)」などの考え方がよみがえり、責任問題については、一次的には国や司直が関与すべきでなく、まずは国民同士で解決していく方がよいという方向性が出てきます。
六.◎法律化にの方向性について注意すべき点◎
自由社会において、ある行為に法律が規制するということは、自由な行為が国により制限されることになることが多いのです。
ひいてはその法律の国の厳格(厳罰的)な解釈により、立法化された当初の行為の範囲外のいわゆるグレーゾーンの行為までも処罰の対象にもなったりします。
一方の国民はそうしたグレーゾーンの処罰を恐れて、本来自由であるべき行為自粛していき、自由に対して萎縮的な効果ももたらすことでしょう。
現時点では、ホームページの管理人にたいして直接的に定めた法律が存在しないため、既存の法律で適用していってますが、ホームページ管理人法などの法律ができたら私だけでなく、みなさん方それぞれに関係してくる恐れがあるのです。
一部の自由の濫用者のために多くの人の自由が制限されることになるのです。
七.一般的な掲示板
八.匿名掲示板

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武富 武馬
[2014年8月8日にくも膜下出血で救急車で運ばれ、意識不明3ヶ月間を経て、奇跡的に後遺症なく半身不随なく退院してます。] 東京出身在住。Pon2 Music-音楽家(New Age、ヒーリング)-あ法論理学-たまにねっと。音楽、生活、論理、よもやま話、長生きしよう!!。着信メロディ。自作の音楽・着信音楽は、オリジナル音源です。テキストサイトも含めて15年になりますが、ごらんになる際は、各記事の日付には注意ください。