「仕事」カテゴリーアーカイブ

台風のため自宅待機になる

防災警報等エリアメールがたくさん入ります。数年前の東日本大震災を彷彿させる現象です。

思えば東日本大震災の時から災害時の本社の管理サイドの方針が変わった気がします。それまで外務地域で災害等起きた場合の管理者の指示がなんもなかったのです。外務では客から預かった物をたくさん持ってます。災害時そうした物を捨てて自分は逃げるか迷うことでしょう。職務を続行するか客の預かり物を捨てて避難するか。進退両難な状態だったのです。管理者サイドも客からクレームがあったときに対応できるマニュアルもなっかったので沈黙してました。そうした中で東北で外務中津波に流されて命を失った者がいました。また計画停電の時期も指示が何もありませんでした。計画停電といえば夜は客の家の明かりもなく、インターホンも鳴らない家もありました。実際大雪の時とか台風の時の職務遂行は危険極まりないです。

そうした時を経て徐々に台風や大雪などの自然災害時の職務の在り方が変化してきたのです。そして本日は大型台風が接近のため職務中止になりました。自宅待機です。

支店の最高責任者とにわか雨のその後 2

うちの支店のパートさんが「支店の最高責任者とにわか雨」の記述を見つけて感心してもらったからその続報を。このときの最高責任者はこの4月に定年で退職したのですが、就任時それまで現場の上がりが多かったのに本社からの移動で最高責任者になりました。彼の就任後
(1)業務車が業務中に歩行者と死亡事故を起こしたり、(2)支店の属するエリアで支店が品質ワーストワンになりました。(3)その他いろいろ。
こういう現象は科学的な因果関係を証明できませんが下の者は最高責任者の力量とかを感じ取るのです。
現在の最高責任者は門番みたいなこともせず気さくな人で死亡事故も起きないしワーストワンから改善されてます。

ほぼ一年ぶりの給料

昨年8月8日にくも膜下出血になり3ヶ月の意識不明になって病院を1月に退院して、7月から仕事の復帰を果たしました。
後遺症もなく社会復帰できたのは奇跡的とも言えます。さらに今日は先月分の給料をもらいました。。
こんど脳卒中を再発したら命の保障もないわけでいつまで生きていられるか誰も知りません。。

支店の最高責任者とにわか雨

自分が仕事に復帰したら、支店の最高責任者が変わっていました。新しい最高責任者は朝、車やバイクの出発を門から出るときに交通を安全に誘導しているのです。外務のすべての安全と営業の成果を願って。。とはここまではいい話です。

今日の午後もバイクの出発を1台1台誘導してました。しかし、こともあろうににわか雨が土砂降りしてきました。するとどうでしょう?その最高責任者は建物の中に引っ込んでしまいました。その後の出発組は大雨の中を誘導もなしに出発していきました。

おいおい、こういうときこそ、無事故に帰れるように出発を誘導して見送るんでないかい?。。世の中の矛盾を目の当たりにした。

円滑な仕事への復帰

昨年2014年8月8日にくも膜下出血になって三ヶ月の意識不明と1月の退院を経て、7月4日に仕事復帰ができました。
後遺症もなく復帰出来たことは幸運だったとしか言えません。人によっては生き返ったという表現をされました。2人のパートさんに指を刺され、「あの人生きてるじゃん」との声が聞こえてきたりしました。

3ヶ月の意識不明時の記憶はありません。三途の川も渡らなかったです。意識回復時に父親の兄貴が来てて、自分の身にタダ事でないことが起きたと感じてました。

今気をつけてることは、くも膜下出血の再発のおそれです。とりあえずたばこをやめて、食べ物に気をつけてます。

くも膜下出血で救急車で運ばれてました

2014年8月8日早朝のこと、くも膜下出血を起こして、立川市にある災害医療センターに救急車で運ばれました。それから意識不明のまま3ヶ月たち三回目の手術で意識を回復しました。

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意識を回復してからすぐに救急病院を追い出されて、リハビリ病院として白十字病院に入院してました。 春先の4月すぎまで入院してる予定でしたが、薬もなく治療もなかったため、リハビリ病院が物足らなくなって、12月11日に退院してしまいました。 今は自宅で療養してます。

くも膜下出血の3分の1は死亡して、3分の1は後遺症があるらしいですが、自分は半身不随もなく後遺症もなく生きているのはラッキーかなって勝手に考えてます。

集中豪雨 武蔵村山

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昨年の今頃の季節は埼玉の富士見市にいたっけ。

武蔵村山の中藤から中央へ青梅街道を使わない抜け道で、集中豪雨の待機。大粒の雹も降ってるが車を傷つけやしないか心配です。

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